小野静枝さん、旧姓、安藤静江さんは大倉山の安藤家に生まれ育ちました。 昭和20年、1945年5月29日、静枝さんは学校から大倉山の自宅に帰る途中、東神奈川の駅で横浜大空襲に巻き込まれ、九死に一生を得る体験をしたのです。昭和46年、横浜の空襲を記録する会が発足し、小野さんはその活動に参加、昭和52年『横浜の空襲と戦災』全6巻が刊行されました。静枝さんはその後も港北区域の空襲被害を地道に調査し、その結果をまとめた労作『伝えたい 街が燃えた日々を』を発刊しました。
(平成30年(2018)6月1日撮影)