岸根公園がアメリカだった頃〜証言でつなぐ「地域の記憶」〜

港北区の南端にある岸根公園。終戦後、米軍に接収され、軍の施設として使われていました。この動画は、その当時のことを今も覚えておられる近隣の方々に、その頃の記憶を語ってもらったインタビュー集です。

それは、昭和20年代後半から40年代前半(1950~1970頃)のこと。その頃の日本はまだ戦後の復興の途上、そして岸根周辺は、今のように市街地化される以前の素朴な農村でした。そこへやってきた米軍。言葉も生活スタイルも違うアメリカ人たちを、地元の人たちはどんな思いで見ていたのでしょうか?

昭和40年代には、ベトナム戦争が激化し、その米軍施設はそれまでの兵舎から姿を変え野戦病院になります。ベトナムで傷を負った兵士たちが、大型ヘリで運び込まれるように。そんな日々に住民たちが悩まされたこととは?

今では、散歩やスポーツをする人たちでにぎわう平和は公園で何が起こっていたのか?近隣の方々の生の声をぜひ聞いてみてください。

協力:岸根公園近隣の皆さま、公益財団法人大倉精神文化研究所、港北ふるさとテレビ局、荒山智奈美
ナレーション:広瀬未来
制作・著作:わがまち港北映像プロジェクト、横浜市港北区役所

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