新横浜鳥物語 〜横浜国際総合競技場周辺に生息していた鳥たちの記録〜 第1話

新横浜という街ができる前はこのあたりは水田地帯でした。近くを流れる川は河床勾配がゆるく、曲がりくねっていたため、ひとたび大雨にみまわれるとすぐに洪水を起こし、良田とは言えなかったようですが、水路沿いにはアシが茂り、放棄水田と思われるような湿原も残っていて、水鳥の姿をよく目にしました。
農業をしていた父は田んぼの水番(水が抜けて枯れていないかを確かめて回る)に幼い私を連れていってくれたが、そこには多彩な面々の鳥たちがいたと記憶しています。田植えの時などすぐうしろまでシラサギの仲間が寄ってきて大きい立ち姿を見て「ドキッ」とした思い出があります。
その後しばらくして探鳥会なるものがこの地で行われるようになり(今ではバードウォッチングと横文字でいうことが多い)、市内ではここでしか見られない「タゲリ」という鳥がアイドル的存在になりました。しかし、日本全体が高度成長期にはいると水田は少しずつ放棄されたり、土盛りされ畑になってしまい水鳥の姿も減ってゆきました。特に鳥山川より南東部側は、埋め立て区画整理し、用途地域も変更して新都心としての整備が進められてゆきました。(臼井義幸)

この作品は、港北区で生まれ育った臼井義幸さんの同名の書籍(写真集)を、本人の許諾を得て映像化したものです。
(2017年制作)

なお、作品中に出てくる「横浜国際競技場」の名称は、正しくは「横浜国際総合競技場」ですが、オリジナル本(写真集)のまま制作しています。

制作:港北ふるさとテレビ局
協力:臼井義幸

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