第2話 小学校入学から大工になるまで

武田信治さんは、港北区大豆戸町にお住いの大工の棟梁です。武田家は、甲斐の武田信玄の一族と言い伝えられている古い由緒を持つ家で、江戸時代から大工をしており、大曽根にある大乗寺の地蔵堂を建てたことが知られています。武田信治さん昭和5年生まれ。昭和19年に大綱小学校の前身である大綱国民学校を卒業しました。そのあと、菊名駅近くの天野製作所(現在のアマノ株式会社)入社し魚雷の部品を作っていたそうです。同時に 会社派遣で、藤原工業学校、現在の 慶応義塾大学理工学部に入学し、終戦をまたいで卒業しました。
戦争が終わり、昭和20年8月、天野(アマノ)製作所を退社し、父、貞太郎(ていたろう)の弟子として大工になりました。
港北区域を中心として、日本建築の住宅や、洋館付き住宅、お寺、お宮などの建築に携わりました。
建築士、技能士などの資格とともに職業訓練指導員の免許を取り、横浜建築高等職業訓練校で15年間にわたり 教鞭をふるい、校長も務めました。

仕事の合間には、鶴見川 舟運復活プロジェクトに加わり、メンバーの皆さんと共に、2艘の舟を手作りしました。
大工は、良質の家を効率よく建てるために、仕事の種類により、様々な種類の道具を使います。
昔は、建てる家により、使う材料により、それぞれの大工が知恵を絞って、その都度最適の道具を手作りしていたのです。父親の代から大切にしてきたその大工道具300点を、平成28年に神戸の博物館に寄贈しました。
現在は、港北区「まちの先生」として、地域の子どもたちに物作りの楽しさを伝える活動をしています。

撮影:2019年11月29日
制作・著作:わがまち港北映像プロジェクト 横浜市港北区役所

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